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帝釈寺だより 春・73号より
先日、家内とクリーニングを取りに行った時のことである。車で待っていると、側の交差点で横断歩道を渡ろうとし、中ほどで転んでいる男性に気が付いた。私が駆けつけると、右折の車からも女性が降りてその方を起こしている。よほど急いでいるのか「あとお願いしてもいいですか。」と言って走り去った。私は男性を支えて横断歩道を渡った。メガネが割れて顔は切れ、体も平衡を失っておられる。「病院まで車で送ります。」と申し出たが、「家がすぐ側だから帰ります。」「大丈夫です。」と押し切られてしまった。仕方なく車に戻ると、店の中から様子を見ていた家内が、入れ替わりに男性の所へ駆け寄って行った。男性は毎朝のウオーキング中に、持病の糖尿でひどいめまいを起こし、その交差点に来る前にも何度も転んでケガしていたらしい。その様子に気付いた、犬の散歩をしていた男性2人、出勤途中の女性2人、家内も含め5人が、男性を支えながら説得し、救急車を呼んだ。その後のことは分からないが、きっと体調がもとに戻っておられると願いたい。この時の、普段の交差点であれば、お互い挨拶を交わすこともなく、ある意味無関心にも似た淡白さで通り過ぎるだけの見ず知らずの方々が、怪我をした男性のために集まり、それぞれが一生懸命に出来ることをし、話し合っていた様は、私の心に強い印象を残した。急いでいたのに降りてくださった車の女性に、私も含めれば、通りすがりの7人は、急ごしらえの一つのチームのようであった。そして、人の心の中に確かにある、助け合い協力しあう意思や、困っている人に手を差し伸べずにいられない衝動のようなものが、はっきりと見えたことに、私は驚いた。たとえ普段は何気なくすれ違うだけの人々の間にも、その相手を助けよう、何かできることをしようという温かさは、確かに流れている。セーフティーネットというけれど、こんなに普通に、ちゃんとその仕組みが、人の心の中にあると、発見させていただいた。
令和6年の始まり
新年の祝辞を申し上げます。
元旦より、能登地震、飛行機の衝突、毎日なにか事が起こっているように思います。
被災された方に思いを寄せて、早く元の生活に戻れるよう、出来ることをしていきたいと思います。
終わりよければという言葉もあり、今年は、龍のようにゆっくり昇っていけば良いかと思います。
今日は成人式、振り袖姿の方が、早くからお参りされておりました。
少し気恥ずかしそうなお顔とご両親の嬉しそうなそれが印象的でした。
明るいもの、楽しみを見つけて、今年も少しずつ歩んで行けたらと思います。
寺縁のお墓
私は、祖父が建てた家のお墓を、お世話しています。お墓は、血縁で守るものと思っていました。
でも、10年、お寺の永代供養墓をお世話していると、血縁ではなく寺縁(お寺で繋がったご縁)でお世話するお墓もあるのかなと思うようになりました。
今朝も、お墓に行ってみると、お花で6本の花筒がいっぱいになっていました。それらは私が立てた覚えのないお花。
『誰かお参りにこられたのかな』
『それにしても、こんなに沢山のお花』
買ってこられたものや、自分で育てたと思しきものも。
お寺で繋がったご縁か。
お水を変えながら、そんなことを想いました。
師走ですね
今日から師走、
朝夕6時の鐘の時間は変わらないけど、開門時間が7時になります。
6時はまだまだ境内が暗く、安全面からです。
これから、2月15日の涅槃会まで、ずっと行事や、その準備後片付けが続くため、多用になります。
やる事に、1、2、3、4、と順番をつけて、こなしていきたいと思います。
お彼岸によせて
今日は、秋分の日。
1週間あるお彼岸の中日(ちゅうにち)になります。
お彼岸は、この秋分の日を中心にしていると言えるでしょう。
なぜでしょうか。
秋分の日(春分の日も)は、太陽が真東から昇り、真西に沈むと言い、昼と夜の時間の長さが、ちょうど同じになります。
昼は明るいことから、眼にみえる世界、物質世界、手で触れられる世界をあらわします。
これに対し、夜は暗いことから、眼に見えない世界、心の世界。宗教の世界もこちらに属すると言えるでしょう。
つまり、それらの世界を「等しく大事にしましょう」と教えています。
私たちは、眼にみえる物質世界に重きを置いて生活していますが、それだけでは不十分です。
人間としての本当の幸福とはなんでしょうか。自分のこころや、相手のこころに目を向けて見ましょう。
また、先祖の仏壇や、お墓に手を合わせた時のあの安堵感も、心の世界に属すると言えるでしょう。
一方にかたよらず、両方の世界を等しく大切に。バランスよく生きていきましょうとお彼岸は教えています。